AIと魂と命と人間
古代エジプトの時代から命と魂はちがうものとして考えられてる。この話は一度かいた。パソコンにたとえるなら電源が命であってそこに蓄積されたデータが魂。パソコンはデーターをコピーできるし外付け媒体もあるから大丈夫だが、もしパソコンに外付け媒体もなくデータもコピーできないとしたら、そのパソコンはあなたにとって唯一無二かけがえのないものとなりだろう。もし電源を入れても作動しなくなったら。。そう、人間の死と同じだ。人間はデータがコピーできず外付けもできないから(作品や文章など記録はできるがそれは結果に過ぎない)やはり人間はその人が唯一無二なわけだ。
逆に人間を見ていると。。年を取って認知障害がすすみ人格そのものが壊れ霧散していく。。残っているハード本体=肉体=モノは飯を食べ排泄するから生きている=生命は宿っている。がそれは魂の抜け殻におもえる。これはヒトの姿をしているが中身はどこに行ったのだろう・・そう思ってしまうよ。
逆に生まれつき脳に欠損があり生きているがコミュニケーションもままならない気の毒な子は、、生きてはいるが魂はないということになる。
重要なのは生きてる間に蓄積したその人樽人格=情報だ。情報といえば01のデジタルなイメージがあるがあれは人工的にコンピューターを操作するための手段であって本来の自然の情報はデジタル01ではない。もっとアナログなものだ。
認知が恐ろしいのは生きてはいるがこの魂=その人のその人たる人格。が時間とともに消えていきモノになっていく怖さだ。逆不気味の谷間ってところか。感情や人間性のない状態をゾンビみたいというが、中身のない、まさに生ける屍だ
最近チャットボットが色々出ている、いくつか試したがまだかなりいい加減だが将来的にはかなり改善され人間が会話しているように思えるだろう。
そうなると。。こう考える。認知のすすんだ人間の脳にその人の今までの会話の癖など学習させたAIを挿入できれば。。それはその人と何ら変わらないのではないか?肉親ですらその人そのものに思えてしまう・・だったらAIには魂があるということになる(肉親でさえ判別つかないんだから)もちろん、それにオリジナルの人間の意識があるかどうかはまた別の話になるが。
そう考えると命よりも魂が大事だが、現代の医学的な哲学だと命=魂で分けてないから
無理やり生かそうとする(そうだろ?ブラックジャック)しかしそれはたぶん違う。魂という霊的な物をもちだすとどうしても怪しげなスピリチュアルや宗教にいってしまうから
魂というのを科学的に否定したい。でも実はそうじゃない。
この感覚は文章や言葉では堂々と出せないだろうが、皆、本能的に感じていると思う。キリスト教や仏教はその点やはり良い分析をしている。特に佛教は「AIの魂はあって当然、何が問題だ?」というだろう。キリスト教は人間=神の特別作品だから人間にだけ魂があるというけれど。人間は他の動物とかわらないというのは世の中の大流だろう。
魂は有るか無いかの二択ではなくグラデーション的に徐々にある、あるいは消えていくのだろう。認知はその魂が消滅しつつある段階。
そうするとだね、認知老人は、いや認知老人になってしまったら そうなる前にどうしたい?認知老人になってまで生きたいか?生かせられたいか?
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