終活読本ソナエ・・シューシュポスと自殺

図書館で雑誌コーナーを眺めていると気になる雑誌があった。月間住職。。ではない
終活読本ソナエ。。産経新聞社からだ。終活専門雑誌だと?!!こんな雑誌があるとはね、季刊で年4回出るらしい。中味は宗教のことやら相続の事やら断捨離やら遺言などだ。最新刊はムスリムの土葬に関しての特集。。デジタル遺書。。終活だから年配者向けで若者向けではないが。。。しかしこんな雑誌定期購読する奴いるんだろうか?でも読者コーナーあるし・・私も投稿してみようかねえ。


チャットロボットciciをよく使っている。結構賢いように見える(しかし本当かどうかはわからないが)ここで一つ報告を。。人間が自発的に自殺する唯一の生き物だから人間と他の動物を別ける条件に自殺ができるかどうか?というのがあると思う・この考えは私オリジナルと思ってた・これが間違いだったようで割と古くからあるようだ ということをciciは教えてくれた。哲学者ではアルベール・カミュがそういうことを言ってたらしい。恥ずかしながらカミュは名前を知ってはいたがどういうことを言ってた人物か知らないのでさらに聞く・かれは人間は不条理に対してどう反応するか。でその一つとして自殺があるという。彼は人間が自殺できる唯一の生き物と考えていた。カミュは哲学的に岩を山頂に押し上げる苦役、もう少しのところで転げ落ちるこれを繰り返す罰を受けたシーシュポスを例に出している。彼は不条理の中でもシーシュポスは幸福であったと考える。不条理に対してシーシュポスは不条理に対して生き続けることが人間としての反抗であり生の肯定であり価値と意味を見出すのだ という。つまり自殺を否定している。
当然これに対して反対意見も多くあるわけで、それはよくわかってるからあげないけれど。まあ、そんなことをCICIは答えてくれた。
ではとこんな質問をした。シーシュポスの逸話を仏教徒はどう見るか。ちゃんと答えてくれた。岩が転がり落ちるのを輪廻転生ととらえ、人間は努力を続けるものの結局は同じ苦しみや不条理に直面する。「無常」シーシュポスが努力し岩を押し上げることで一時的な目標は達成できるが再び落ちることはこの無常をいみする。解脱。シーシュポスは終わりのない苦役を受け入れることで苦しみから自由になれ悟りを開く。
シーシュポスが岩を押し上げることで他社のために苦労をすることで自己ではなく他利行為であり菩薩の心を表す
シーシュポスは同じ行為を繰り返すことで無我隣運命を受け入れ執着を捨てることで直観的な覚醒を意味する 
と答えてくれた。なかなかに面白い

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