魂魄、社会的命

saiaku

社会的な命のトリアージのことを書いた。もう少し考えてみる。
医学的なことでの命の平等、これは問題ないだろう。もっとも緊急を要する者が最優先だ。
あるいは医学的な条件の揃った者とかも優先されるだろう。だが社会な命は違う視点だ。ともすればこれが優生思想になるわけだ。ところで生まれつき脳のない無脳症というのがある。生きてはいるけど(医学的に命はだれしも平等だ)長くは生きられないし知能もない(インドなどでは神の生まれ変わり といって尊重されるらしい、それはそれで驚くべき考えだ)しかし社会的には?命と魂。他のところで書いたが魂と命は違うもので使い分けている。魂魄、エジプトならカーとバーだ。命は医療的な、生化学的な生命反応だ。魂は?これに関して私は肉体を通じて得た経験や情報だと解釈している。前にも書いたね。パソコンで一番必要なのは電源が入ることではなくあなたが集めたデータだということ。そう考えると社会的な命というのはこの魂を言うのではないかと考える。工藤会の幹部のような人非人のようなのは生きてても害をなすだけだ。こいつらは社会的な評価は障がい者やホームレスなどよりけた違いに低いと考えてるから社会的命=魂は腐りはてたようなものだ。魂の救済という宗教があれば死んだ後、いくらでも祈りを捧げればいい。どこの宗教でも魂の崇高さは重要だ。生きている間どう自分の魂磨きをするか、これは宗教でいろいろあるだろうが良い魂にむかって努力することが重要といってる。魂が素晴らしければ社会的トリアージも優先されるだろう・
宗教臭くなってきたから嫌だが、魂という言葉を使うとそう思う。